HR業界に「何でもできます」が増えると危険な理由

専門性の希薄化と何でも屋リスク、ジャック・オブ・オール・トレードの問題

HR業界では「採用から育成・定着まで一括支援」「HR領域のワンストップサービス」を謳う事業者が急増しています。一見便利に見えるこの「何でもできます」という姿勢が、実は業界の専門性を希薄化させ、クライアント企業の課題解決を困難にするリスクについて詳しく考察します。

Jack of all trades HR consultant trying to handle everything with shallow expertise,何でも屋になるHR支援者の専門性希薄化イメージ

「何でもできます」が生まれる背景

HR業界において「何でもできます」型の事業者が増える背景には、いくつかの構造的な要因があります。まず市場側の要因として、企業の人事担当者が「なるべくまとめて一社に頼みたい」というニーズを持っていることが挙げられます。複数の支援会社と個別に契約し、それぞれを管理する工数は決して小さくありません。そのため「採用も研修も評価制度見直しも対応できます」という事業者は、担当者にとって発注しやすく見えます。次に供給側の要因として、HR事業者が売上を拡大するために扱うサービスを広げる傾向があります。最初は採用支援からスタートした会社が、クライアントの要望に応えるうちに研修、そして組織開発と領域を拡大していきます。この過程で専門知識や実績が十分でない領域にも踏み出すことになりますが、「断るよりも受ける」という営業論理が優先されやすい環境があります。さらに、HRテクノロジーの普及によって一定の品質の標準サービスを低コストで提供できるようになったことも、この傾向を後押ししています。採用管理システム・研修プラットフォーム・エンゲージメントサーベイといったツールを組み合わせることで、表面的には「何でも対応できる」ように見えるサービスを作ることが可能になっています。しかしツールを組み合わせることと、専門的な知見と経験に裏打ちされた支援を提供することは、まったく異なります。「何でもできます」が増える背景を理解することは、その危険性を正確に把握するための第一歩です。

専門性の希薄化がもたらす具体的なリスク

「何でもできます」型の支援が広がると、HR業界全体の専門性が希薄化するというリスクが生まれます。専門性の希薄化とは、特定領域に深い知見と経験を積み上げた「エキスパート」が育ちにくくなり、広く浅い「ジェネラリスト」が量産される状況のことです。これはHR業界が本来果たすべき社会的機能——企業の人材課題を本質的に解決し、働く人の成長を支援する——を著しく低下させます。具体的なリスクとして、まずクライアント企業への害があります。「何でもできます」と言って受注したものの、専門知識が不十分なために的外れな提案やアドバイスを行い、クライアントが誤った意思決定をしてしまうケースです。採用ブランディングの専門家でもない会社が採用ブランディングを受注し、表面的なコピーや動画制作だけで終わらせてしまう、あるいは組織診断の専門家でもない会社がサーベイ結果を読み誤った解釈でフィードバックしてしまうといった問題が実際に起きています。次に、業界のナレッジ蓄積が阻害されるリスクがあります。特定領域に特化した事業者は、数百・数千社の事例を積み重ねることで、「この業界・この規模・この課題パターンではこのアプローチが有効」という深い知見を蓄積できます。しかし何でも屋の事業者は、各領域での経験が浅いまま次の案件へ移っていくため、ナレッジが蓄積されません。業界全体として見れば、こうした動きが続くことで専門知識のプールが枯渇していきます。

専門性を軸にした事業設計の重要性

「何でもできます」から脱却し、専門性を軸にした事業設計を行うことは、短期的には受注機会を絞ることを意味しますが、中長期的には業界内での競争優位と持続可能なビジネスモデルを構築することにつながります。専門性を軸にした事業設計において最初に行うべきことは、「自社が本当に価値を出せる領域」の定義です。これは単に「得意なこと」を並べるのではなく、「この領域ではクライアントに対して圧倒的に良い結果を出せる、それを証明できる実績がある」という水準で定義することを意味します。次に、自社の専門外の課題をクライアントが持っている場合の対応方針を明確にすることが重要です。「うちではできません」と断るだけでなく、「その課題はこの会社に相談することを勧めます」という形で、信頼できるパートナー企業を紹介できる体制を持つことが、専門特化型の事業者がクライアントの信頼を維持するための鍵になります。また、専門性を可視化・言語化する努力も欠かせません。「この課題については業界の誰よりも知見がある」と言えるためには、書籍・論文・セミナー・コンテンツ発信など、外部に向けた知識の発信と蓄積が必要です。専門性は内部に持つだけでなく、外部から認知されて初めて市場での差別化につながります。何でも屋になることへの誘惑は常にありますが、「自社の専門性の境界を守ること」が結果的に業界と顧客への最大の貢献になります。

まとめ:専門性の境界を守ることが業界の健全化につながる

HR業界に「何でもできます」が増えることは、短期的には利便性を高めるように見えますが、長期的には業界全体の専門性を希薄化させ、クライアント企業が質の高い支援を受けられない状況を生み出します。ジャック・オブ・オール・トレードは「何でもそこそこできるが、何も本当にはできない」という意味で使われる言葉ですが、HR業界においてこの状態が広まることは、最終的に企業の人材・組織課題の解決を遅らせ、働く人々の成長機会を奪うことになります。専門性を軸にした事業設計を行うことは、受注を絞る覚悟を伴いますが、その覚悟があってこそ深い知見が蓄積され、クライアントへの真の貢献が生まれます。HR業界全体が「何でもできます」から「これだけは誰にも負けません」へとシフトしていくことが、業界の成熟と社会への貢献を同時に実現する道です。そのために一社一社のHR事業者が自社の専門領域の境界を明確に定め、その境界を誠実に守ることが求められています。

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